『有頂天家族』アニメ化にあたって
今を去ること十年前、京都は北白川の四畳半において私が孤独にふくれていた頃のこと。夜半、牛丼でも食べようかしらんと下宿を出て、
静かな住宅街を歩いていくと、街灯の下を駆け抜けて側溝に隠れた毛深きものあり。「なにやつ!」と覗いてみたら、一匹の狸がキョトンとこちらを見上げていたのであった。
その運命的瞬間に天啓を得た『有頂天家族』という作品が、十年の歳月を経て、スタッフの方々が創意工夫を凝らされた一大アニメーションへと、
気宇壮大な化け術を披露するまでに至ったのは驚嘆すべきことである。原作の一行一行にこだわる映像化にあたって、
スタッフの方々の御尽力はまことに凄絶、鬼気迫る「阿呆」というべきであり、それもそのはず監督自身なにやらフンワリと狸っぽい気配がなきにしもあらず。
狸気濛々たるアニメの放映を、原作者として心待ちにしている次第である。
「そんなに素晴らしいアニメがあるなら強いて原作を読む必要はあるまい」と考える人がいるのも当然だが、この世で真にスバラシイ人物とは、
アニメを讃えて原作を読み、原作を讃えてアニメを観てくれる人である。そうとも。
アニメと原作をあわせて楽しめる広々とした心を持つことが現代日本における紳士淑女の嗜みであるという点にあらためて読者諸賢の注意を喚起するとともに、
京都に暮らす毛深きものたちの今後益々の活躍を祈念して、今日のところは筆をおく。
二○一三年三月二十一日
原作者森見登美彦記す